とよとみけ ぼしょ
豊臣家 墓所
ガイド
秀吉の墓は中央の大きいもので、1940年(昭和15年)に奉公会という秀吉を信奉する人々が建てた新しいもの。
墓の中には、秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造がおさめられているという言い伝えがあります(情報元[1])。
前面にあるのは、一族の墓です。
「高野山ガイドブック」(金剛峯寺 2015年発行)によると 一族の供養塔や逆修碑は1587年~1592年にかけて建立されたとあります。
逆修碑(ぎゃくしゅひ)とは生前に建てた碑のことです。
和歌山県指定の史跡。管理団体は金剛峯寺です。
参考サイト・情報元
・高野山奥之院の豊臣家墓所の石塔群
・高野山大学総合学術機構課長 木下浩良氏「高野山奥之院の『豊臣家墓所』について」
・[1]:【真言密教の総本山】開創1200年の高野山を生中継~奥の院からプロジェクションマッピングまで~(ニコニコ生放送)※タイムシフト ※プレミアム会員のみ視聴可能
・高野山大学総合学術機構課長 木下浩良氏「高野山奥之院の『豊臣家墓所』について」
・[1]:【真言密教の総本山】開創1200年の高野山を生中継~奥の院からプロジェクションマッピングまで~(ニコニコ生放送)※タイムシフト ※プレミアム会員のみ視聴可能
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