高野山奥の院かなり完璧ガイド

高野山にある歴史上の人物の墓や供養塔を膨大な写真とともに解説しています。

カテゴリ: 一の橋入口~20町まで

いちのはし
一の橋
Ichinohashi Bridge
 
 
ガイド
奥之院の参道の入り口は2つあります。
1つは企業墓が多く並ぶ「中の橋」側の入り口。
そしてもう1つが、多くの歴史上の人物・大名の墓が立ち並ぶ参道につづく、このの「一の橋」の入口です。
一礼してから進みましょう。

ここから、弘法大師が今も修行を続けている場所、御廟(ごびょう)まで約1.9km。
参道の両脇には、20万基以上ともいわれる膨大な数の墓や供養塔が立ち並んでいます。

長い参道の途中には石段があるため、車椅子を使われている方はもう1つの入口「中の橋大駐車場」の参道から入ったほうが良いです。
また、この一の橋の入り口付近には駐車場がありません。そのため、私はバスを使ってここまで来ています。

なお、この橋の手前側(この写真の撮影ポイントの背後)に観光案内所があります。

かいぐんだい14き ひこうせんしゅうよびがくせい せんぼつしゃいれいとう (ああ どうきのさくら)
海軍第十四期飛行専修予備学生 戦没者慰霊塔(あゝ同期の櫻)
Naval 14th Period Flight Specialist Preparatory Student, War Memorial Tower (Ah, Cherry blossoms of Same class)
2017_5261
 
 
ガイド
碑に刻まれている「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」は曹洞宗の僧侶、良寛和尚の辞世の句とされているもので、 鶴田浩二の歌のタイトルでもあります(1979年/昭和54年リリース)。
この言葉は特攻隊の遺書に記されることが多かったようです。

飛行科予備学生第14期には特攻に出撃して亡くなったプロ野球選手がいたほか、水戸黄門を演じた西村晃(1997年没)も第14期海軍飛行予備学生であり、特攻隊員として出撃。 しかし、機体不調のため戻ってきたとのこと。

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:海軍予備員#海軍予備学生・海軍予備生徒

おうしゅう せんだい だてけ ぼしょ(だてけ 2だいめ)
奥州 仙台 伊達家 墓所(伊達家2代目)
Oushu Sendai Date clan gravesite
2016_0284
 
 
ガイド
情報元[1]によると仙台伊達家2代目とのことですので、仙台藩2代藩主伊達忠宗(だてただむね)の墓所かと思われます。
参考サイト・情報元
[1]:【真言密教の総本山】開創1200年の高野山を生中継~奥の院からプロジェクションマッピングまで~(ニコニコ生放送 19分あたり)※タイムシフト ※プレミアム会員のみ視聴可能
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:伊達氏
ウィキペディア:伊達忠宗
Wikipedia:Date Tadamune
維基百科:伊達忠宗
Wikipèdia:Date Tadamune

ちくご やながわ たちばなけ ぼしょ
筑後 柳河 立花家 墓所
Chikugo Province Yanagawa Domain Tachibana clan gravesite
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ガイド
筑後国(福岡県)の柳川を本拠としていた立花家の墓所。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:立花氏
Wikipedia:Tachibana clan (samurai)
維基百科:立花氏
Wikipèdia:Clan Tachibana

つるたこうじ のはか
鶴田浩二 之墓
Tsuruta Kouji gravestone
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ガイド
海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「同期の桜」の塔のすぐとなりにあるのが、俳優・歌手であった鶴田浩二の墓碑。1987年(昭和62年)没。
位牌は高野山の大圓院にあります(情報元 Wikipedia)。
鶴田浩二は戦時中に整備士として特攻隊員を見送っており、また歌手として「同期の桜」を歌っています。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:鶴田浩二
Wikipedia:Koji Tsuruta
維基百科:鶴田浩二

かが まえだけ ぼしょ 1
加賀 前田家 墓所 1
Kaga Domain Maeda clan gravesite
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ガイド
前田利家を藩祖とする加賀藩、前田家の墓所。
奥の院にはこのほかに「前田利長 五輪塔 (加賀 前田家 供養塔)」があります。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:前田氏(加賀前田家)
Wikipedia:Maeda clan
維基百科:前田氏
Wikipèdia:Clan Maeda

いよ うわじま だてけ ぼしょ
伊予 宇和島 伊達家 墓所
Iyo Uwajima Date clan gravesite
2017_5103
ガイド
愛媛県にあった宇和島藩の伊達家(伊達家の宇和島分家)の墓所。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:伊達氏
Wikipedia:Date clan
維基百科:伊達氏
Wikipèdia:Clan Date

そがきょうだいと ちち かわづさぶろうのくようとう
曽我兄弟と父 可津三郎の供養塔
Soga Bros. and their father Kawazu saburou memorial tower
ガイド
曾我祐成(そがすけなり)と曾我時致(そがときむね)の兄弟と、その父の供養塔。
曽我兄弟の仇討ちのエピソードは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれたほか、戦前に何度も映画化されています。

父の名は河津祐泰(かわづすけやす)とも、河津三郎祐泰ともよばれるようです。
相撲の決まり手「かわづがけ」の語源となった人物です。

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:曾我兄弟の仇討ち
Wikipedia:Revenge of the Soga Brothers
維基百科:曾我兄弟復仇事件

しばりょうたろう ぶんがくひ
司馬遼太郎 文学碑
Shiba Ryotaro literary monument


ガイド
平成20年(2008年)9月建立。
司馬遼太郎のエッセイ『歴史の舞台-文明のさまざま』収録の「高野山管見(こうやさんかんけん)」の冒頭部分が刻まれています。

なお、司馬遼太郎が橋本市から高野山を訪ねる「街道をゆく 第27回 高野山みち」がNHKで放送されており、 NHKオンデマンドで配信されています。(1999年放送)
参考サイト・情報元
街道をゆく 第27回 高野山みち(NHKオンデマンド)
歴史の舞台 文明のさまざま(Amazon)
司馬遼太郎が考えたこと〈10〉エッセイ 1979.4~1981.6 (新潮文庫)(Amazon)
・参考:高野山奥の院に司馬遼太郎の碑建立(2009秋-No.38)(持明院「はすの会」)
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:司馬遼太郎
Wikipedia:Ryōtarō Shiba
維基百科:司马辽太郎

ちょういし(18ちょう)
町石 (18町)
Cho-ishi Stone Marker (18Cho)
ガイド
道標として等間隔に建てられた石塔です。1町は109.09メートルですが、奥の院では80mに1本の間隔になっているようです。
奥之院の町石は、一の橋の手前の17町から御廟の手前の36町まであります。

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:高野山町石道
Wikipedia:Kōyasan chōishi-michi
維基百科:高野山町石道
Wikipèdia:Kōyasan chōishi-michi

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