高野山奥の院かなり完璧ガイド

高野山にある歴史上の人物の墓や供養塔を膨大な写真とともに解説しています。

カテゴリ: 句碑・歌碑

しばりょうたろう ぶんがくひ
司馬遼太郎 文学碑
Shiba Ryotaro literary monument


ガイド
平成20年(2008年)9月建立。
司馬遼太郎のエッセイ『歴史の舞台-文明のさまざま』収録の「高野山管見(こうやさんかんけん)」の冒頭部分が刻まれています。

なお、司馬遼太郎が橋本市から高野山を訪ねる「街道をゆく 第27回 高野山みち」がNHKで放送されており、 NHKオンデマンドで配信されています。(1999年放送)
参考サイト・情報元
街道をゆく 第27回 高野山みち(NHKオンデマンド)
歴史の舞台 文明のさまざま(Amazon)
司馬遼太郎が考えたこと〈10〉エッセイ 1979.4~1981.6 (新潮文庫)(Amazon)
・参考:高野山奥の院に司馬遼太郎の碑建立(2009秋-No.38)(持明院「はすの会」)
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:司馬遼太郎
Wikipedia:Ryōtarō Shiba
維基百科:司马辽太郎

よさのあきこ くひ
与謝野晶子 句碑
Yosano Akiko HAIKU monument
 
 
ガイド
与謝野晶子(1878~1942)の「やははだの(やわ肌の) あつき血潮に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」 という短歌が刻まれています。
明治34年(1901年)の「みだれ髪」に収録されているもので、広く知られた短歌のひとつです。

「ふれも見で」は、触れもしないで、の意味。
「さびしからずや」は、さみしくないだろうか?
「道を説く君」は、そのまま「道を説いているあなた」という意味。
「熱い血がたぎっている私に触れもしないで、道を説いているあなたは寂しくないのですか?」という愛情表現を表したものです。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:みだれ髪
Wikipedia:Midaregami#Cultural_impact
Wikipèdia:Midaregami#Impact_culturel

やまぐちせいし くひ
山口誓子 句碑
Yamaguchi Seishi HAIKU monument
 
 
ガイド
山口誓子(1901-1994)の句碑。 「夕焼けて 西の萬億 土透く」とあります。
夕焼けの美しさや、その光が地面が透けて見えるように差し込む様子を表現した句のようです。
「誓子」は俳号で、もともと誓子(ちかひこ)と読ませていました。これは本名の山口 新比古(やまぐち ちかひこ)から来ているようです。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:山口誓子
Wikipedia:Yamaguchi Seishi

はなびしあちゃこくひ
花菱アチャコ句碑
Hanabishi Achako HAIKU monument
 
 
ガイド
吉本興業の所属で戦前から人気を博したした漫才師、花菱アチャコ(昭和49年/1974年没)の句碑。
「落書塚」の場所に建っています。
裏側には中田ダイマル、西川きよし、藤本義一、川上のぼる らの名前があります。
「1992年9月26日句碑寄進」と刻まれているとおり、没後に建立されたものです。

「笑われて 浮世をおくる 顔にで来」とあります。
笑われても、それを受け入れて静かに浮世を送る様子を描いた句でしょうか。

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:花菱アチャコ

ばしょう くひ
芭蕉句碑
Bashou HAIKU monument
 
 
ガイド
松尾芭蕉(1644-1694)の俳句、「父母の しきりに恋し 雉の声」が刻まれています。

元禄元年(1688年)、芭蕉が45歳の時、父母の位牌を高野山におさめた際に詠んだ句とされています。
雌雄の雉の声を聞くと、父母が偲ばれるといった心情をあらわしています。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:松尾芭蕉
Wikipedia:Matsuo Bashō
維基百科:松尾芭蕉
Wikipèdia:Matsuo Bashō

たからい きかく くひ
宝井其角 句碑
Takarai Kikaku HAIKU monument
 
 
ガイド
松尾芭蕉の弟子で「蕉門十哲」と呼ばれるうちの一人、宝井其角(1661-1707)の句碑。
「卵塔(らんとう)の 鳥居やけにも 神無月」とあります。

この句の意味が国会図書館のウェブサイトに掲載されていましたので引用します。
『「「卵塔」は墓石。墓石の御影石で出来た鳥居をくぐる。ここ高野山奥の院は御仏のいます所で神様はいまさぬ。まことに神無月の詣でにふさわしいところだ。「神無月」に神無しを言いかけた語法。』 また近年、実際には其角の句ではないことが判明したそうです。
参考サイト・情報元
・[1]句の意味、解釈を知りたい(レファレンス協同データベース)

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:宝井其角
Wikipedia:Takarai Kikaku
維基百科:寶井其角
Wikipèdia:Takarai Kikaku

てしま ゆうけい しょひ <だいひ>
手島右卿 書碑 <大悲>
Teshima Yukei calligraphy monument
 
 
ガイド
高知県出身の書家。1901(明治34)年-1987(昭和62)年。「昭和の三筆」と呼ばれる3人のうちの1人。
「大悲」とは、大きな慈悲、苦しみを救う仏の大きな慈悲といった意味。
空海の書法を研究したことでも知られるようです。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:手島右卿
Wikipèdia:Yūkei Teshima

とみやす ふうせい くひ
富安風生句碑
Yasutomo Fuusei Haiku monument
 
 
ガイド
「多田満仲公之墓」の墓碑の隣に建てられています。
明治から昭和にかけての俳人、冨安風生の句碑。昭和54年(1979年)没。高浜虚子に師事した人物です。

Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:富安風生

いなはた ていこ くひ
稲畑汀子 句碑
Inahata Teiko Haiku monument
 
 
ガイド
高浜虚子の孫である俳人、稲畑汀子(1931-2022)の句碑。
「萬丈の 杉の深さや 五月闇」とあります。
Wikipedia 関連ページ
ウィキペディア:稲畑汀子
Wikipedia:Teiko Inahata

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